先の週末,妹家族を訪ねて岡山まで出掛けた.なんでも両親が行くというので同行することになったのだ.木曜日に電話したときには,岡山市内に宿泊することは決まっていたのだが,行き先については,倉敷にでも行ったらどうかくらいにしか決まっていなかった.それが翌日になって直島に行くことになった.
自分の希望が通った形になった訳だが,それが決まったのが前日の夜ということもあり,下調べする時間もなく,ほとんど素の状態で出掛けることとなった.
前々から,安藤忠雄の「地中美術館」は訪れてみたい場所のひとつだったので,晴天の霹靂だった.ただ,下調べなしに出掛けるという状況に一抹の不安がなかったかというとウソになる.ネット社会になり,ネットで事前に情報を調べるのが当たり前になった中,それをせずに行動を起こすというのは,なんだか大事なものを忘れてしまったようで,いや違うな,大事なものを忘れてしまいそうで,内心不安なのである.なんというか.アドリブが効かないというか,ぶっつけ本番に弱いというか,そんな感じ.
ネット社会の現代では,そこに住む人々は,望む望まないに関係なく,事前の情報収集に躍起になる.情報収集を怠ったことが招く,非効率性とか,不用意なミスというものに対して「しまった」と思いたくないからだ.
ここでは,臨機応変という要素は極力排除される.予定調和にがんじがらめになって,最初から決まったことを粛々と進め,予定通りに進んだことに安堵の気持ちさえ抱く.そこにあるのは,予め用意された”マニュアル”にしたがって単々とこなす姿が重なってみえる.
自転車に乗っていると,ふと思いついて,あてもなく,見知らぬ路上を走りまわるといったことがある.たとえ,そこで道に迷っても,別の道を行くか,引き返せばいい.また,たとえ,目的地に辿り着けなかったとしても,それはそれで心ときめくものだ.そう,その”あてもなさ”が目くるめく何かをもたらしてくれる.そして,そこでの体験は,エクスタシーを身にまとった記憶として定着するはずだ.
今回は期せずしてそうなったが,たまにはそんな旅もいい.
書きはじめたら思わぬ方向に話が脱線してしまった.ということで,直島・倉敷の話はまた次回以降に.
たまには,こうして電車に乗り遅れるのもいいものだ.
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とうとう地中美術館行かれましたか!うらやましい。次回以降楽しみにしています。
そうなんです.情報が容易に入手できるようになったばっかりにそうなってしまったのです.
上の写真は,直島のフェリー乗り場なんですが,ここもよかったですよ.設計はSAANAです.
私が自転車に乗っている理由はまさにソレです。私は目的地に行きたいとは思っていないようです。目的地とは何処なんだろう。まあ、いいや。。
ただ、私はどちらかというと後半部分の自分の感性だけを頼りに歩いてみるのも結構好きだったりします。
もちろん公共交通機関の時間くらいは押さえておく+国内限定ですけれど…
全く同感です.記事では,便宜上”目的地”と書きましたが,”目的地”を口に出した途端,楽しさが半分くらい減ってしまう気がします.できれば,目的地を決めずに出発したいといつも思います.
”目的地”とは,次の目的地に行くための”中継地”かなあ.
そうそう.どうやって行くとか,どの電車に乗るとか,所要時間はどれくらいかなどの必要最小限は押さえていきますよ.
そういったことは,今では当たり前になっていますけど,昔は,それすらもしなかった,というかできなかったものもありますよね.
余談ですが、例の写真集「自転車のある風景」シリーズ、その他2冊入手しました。なかなか興味深かったです。
歳を重ねるごとに面倒ってのは,ありますね.それだけ求めるものが違ってくるってことじゃないでしょうかね.
「自転車のある風景」シリーズを手に入れられたとのこと.またブログで紹介していただけたら嬉しいです.
私も旅行に限らず、今は何でも「調べてから実行する」よーな感じです。
「検索する」という日本語もWebが登場してからは「検索する=Webで検索する」というように意識が変わっているよーな気がします。
でも、いきあたりばったりの旅も結構楽しそうですね。「あのとき調べとけば近くにこんなのがあったんだー」という後悔(?)も含めて旅と考えるとそんなに悪いものではないのかもしれませんね。
(と、取りとめもなく書いてしまいました)。
ではでは。
そういえば,サーチエンジンが出るまでは,”検索する”という言葉を他の意味で使ってたのですよね.
下調べを必要最小限にしておくといいことに,あれも見なきゃ,あっちも覗いておかないといった,強迫観念から解放されるような気がします.