昨年の11月の公演以来のひとり芝居.
前回の公演は,名東文化小劇場でしたが,今回は,改装が完了したようで,いつものテレピアホールに戻っての公演でした.といっても,ホール内を見た限り,改装されて新しくなったというのは感じられませんでした.
さて,いつもの中年サラリーマンが頭を下げてのお出迎え.
ひとり芝居の演目は,以下の通り.
- 街頭でネイルサロンのバイトを勧誘するプードルのぬいぐるみを抱いた若い女(寄ってきた女子高校生とのやりとり)
- 出張の宿泊先での中年痰吐き男(若い同僚剣持くんとのやりとり)
- 三軒茶屋のホテルへ面接にを受けにきたヤンキーな男子高校生葛西君(面接会場と控え室を行ったり来たり)
- 断食道場に来た55歳の男性(一緒に断食をする若者とのやりとり)
- 鉄道工事をするおっちゃん(一服ばかりで同僚としゃべってばかり)
- ホステスになった元掃除婦のヒトミちゃん(嫌がる客に指名してもらうまでのやりとり)
- ウェスタン村で演奏を聴かせる男・ケンタッキー上田(たまたま入場してきた家族に演奏を披露することに)
(いるであろう観客に向かって)路上で哲学を語るストリートミュージシャン男
今回演じられた芝居は,新作で名古屋が初披露のものもあったようです.それが影響してか(それを知ったので先入観があったのかもしれませんが),観ていても発展途上といった様子がなんとなく感じられました.それを感じたのは,一つは,受けを狙ったであろう劇中ギャグ*1が滑っていたこと,二つめは,そういう場面でもセリフでもないのに,演技者(イッセー尾形)が笑みを浮かべてしまっていたり,セリフが笑ったりしていたところです.
こういった新作の初演の段階では,日々演じるごとに内容が変化していってるのでしょう.そんな成長する過程を観られたのが,逆に面白かったです.
- *1
- 以前の記事 ”イッセー尾形のとまらない生活2006in名古屋|少しだけ,イッセー尾形論” からの引用.「どの演目にも,シチュエーションとは全く関係ない話を,登場人物がしはじめるという場面が挿入されています.(中略)フィクションの中のフィクション.あるいは,フィクションの入れ子構造.(中略)これが笑いに奥行きをつけているというか,さらなる笑いを誘っている気がします.様々な場面でそういった逸話が登場人物の口から語られるのですが,これが登場人物のキャラクターのイメージ造成に大きな役目を果たしているのは間違いないですが,この虚構錯綜世界の中で観客はバランス感覚を崩し,演技するイッセー尾形を見失い,あたかもその人物が語っているような気になってしまうのです」
- Related entries:
- イッセー尾形のとまらない生活2006in名古屋|少しだけ,イッセー尾形論
- イッセー尾形のとまらない生活2006in名古屋

