以前,「絹糸草」という記事で盆栽派かもしれないと書いた.そして,「unknown flowers in the highland」では,”亡き祖父が盆栽を半ば本職のように手入れする人だった”と書いた.そんな理由で,”盆栽”と聞いて真っ先に思い出すのは,祖父のこと.
祖父は随分前(25年くらい前)に亡くなっている.高校で授業を受けているときに,突然病院から呼び出されたのを今でも覚えている.
その祖父のことであるが,私が物心ついた頃には,祖父はすでに隠居しており,私の両親の家(つまり,当時のボクんち)からクルマで5分くらいのところに,祖母と一緒に棲んでいた.そして,私そして両親の家の敷地内にはトタン屋根の小屋が建っていて,祖父はそこに毎日通ってきていた.なぜそんなことをしていたのかは訊いたことがないのでわからないが,実家の土地の問題からか,案外,自分の隠れ家というつもりだったのかもしれない.
まるでそれが仕事であるかのように(祖父にとっては,”ように”ではなく,本当にそう思っていたかもしれないが),毎日,自分の子供夫婦の家の隣に建つ小屋に通い,そこで日がな,盆栽の手入れをしていた.確か,日曜日は来てなかったような気がするが,忘れてしまった.そして,一日盆栽の手入れをして,夕方になると”仕事”を切りあげ,”ボクんち”にやってきて,母親が準備した熱燗とつまみで一杯するのが常だった.祖父は大相撲が好きで,熱燗をすすりながら大相撲を熱心に観ていた姿をよく覚えている.
物心ついたときからそうだったのでそれが当たり前だったのだが,今考えれば,かなり変わった隠居生活を送っていたことになる.そして,そんな祖父の盆栽コレクションは,半端なものではなかった.
今となっては正確に思い出せないが,100や200といった数ではきかなかったと思う.盆栽の手入れにしても,人を常時一人雇うほどの熱の入れ込みようだったし,いつだったか,台風が来た時に,手塩にかけて育てた盆栽が風で飛ばされてしまって大騒ぎになったこともあった.
そのほとんどの盆栽が小屋の外の敷地に保管されていて,土管のたぐいを土台にした上にコンクリートの板を渡し,その板の上,下に所狭しと並べられていた.そうそう.今思い出したのだが,地面に埋められた水道のコックを捻ると,張り巡らされた塩ビ(だったか?)の配管から水が出て盆栽にかかるといった,簡易的な自動給水装置も備え付けられていた.元々,祖父は大工をしていたそうで,手先は器用だったのだと思う.
ただし,盆栽の手入れといっても,何をしていたのかはしっかり覚えていないが,小屋にしつらえた作業台にロクロ(陶器で使うもの)を置いて,その上に盆栽の鉢を載せ,ぐるぐる回転させながら手入れをしていた.乾燥した苔を盆栽の足元に埋め込んだり,肥料用に四角い堆肥をくべたりしていた.そうそう.形を制御するためなのだろう,銅線を松の幹にぐるぐると巻きつけることもよくしていたっけ.
盆栽と言えば,緑の宇宙と言われたりする.その主役は,なんといっても松なのだが,松以外の脇役として様々な草木を一緒に植える.祖父がそうだったのか,盆栽のセオリーがそうなのかは知らないが,山野草のたぐいが多かったように思う.そんなことで,祖父に連れられて,よく山に草木の採集に行ったものである.今となっては,厳しく禁止されているのかもしれないが,そういうことには寛容な時代だった.
そんな盆栽小屋も,祖父の亡き後,取り壊されてしまった.今ではそこには民家が建ってしまっていて,当時を思い出させるものは残っていない.でも,当時,祖父母の棲んでいた家(今はそこに両親が棲んでいる)の広い庭には,珍しい植物がいろいろ植えられていて,昔の主(あるじ)にまつわる記憶を留めてくれている.
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