よく晴れたこの前の日曜日.いつもの50kmコースを走るべく身支度をしていると,その天晴れな天気に魅せられたのか,隊長が自分も連れて行って欲しいと言う.知多半島の丘陵を走る50kmコースを一緒に走ろうかとも思ったのですが,味も素っ気もないコースで,途中結構な登りがあるのでどうしたものかと逡巡していたのですが,結局以前から一緒に行きたいと思っていた所に行くことに.以前から行きたいと思っていたなら迷うこともなかろうと思うでしょうが,その時は,既に気分的にはTTモードだったので,簡単にポタリングモードに戻せというのは,簡単にはいかないのです.
今日はそばでも食べようかと,蕎麦屋に入ろうとしたら,偶然知り合いにバッタリ会い,結局,隣にあったラーメン屋に入ったという感じですね.まあ,ラーメン食べた後に,蕎麦も食べるからいいのですけど.
訪問した先は,名古屋市緑区有松町.旧東海道の宿場町,池鯉鮒(現在の知立市)と鳴海(緑区鳴海町)の間の立場(たてば)*1 だったところです.両側の宿場町には残っていないのですが,ここ有松には,当時を偲ぶ街並みが保存されています.
- *1
- 宿と宿の間にできた旅人,人足,駕篭の休憩所
有松は,”有松絞り”で有名です.安藤広重作「東海道五十三次」の”鳴海宿”もタイトルは「名物有松絞り」とついています.この辺りには,三河もめんや知多もめんなど木綿の産地が近くにあったので,それらの生地を使用したのでしょう.有松絞の技法や歴史に関することを知りたいのであれば,有料ですが,街道筋にある「有松・鳴海絞会館」に行くことをおすすめします.昔の道具や着物の展示物をはじめ,有松絞りに製作過程や歴史に関するビデオを視聴できるし,なんといっても絞りの実演を観ることができます.訪れた時にも,二人のおばあさんが記事を糸で絞っておられました.その手さばきは,早業で見事としかいいようがなかったです.なお,近くにある「有松山車会館」とのコンビ券は,安くなっていてお徳.
二人のおばあさんにいろいろ面白い話を伺ったのですが,手さばきは見事なのは言うまでもないのですが,まあ二人とも見事な名古屋弁を操られていましたね.これだけ見事な名古屋弁の会話を生で聞いたのは,はじめてでした.「自転車で来たのか?」「どこから?」という定番のやりとりから「自転車は小回りがきいていい」とか「わしも乗っとる」など,そんなたわいない会話でしたが,隊長は嬉しかったようですっかりご機嫌でした.
さて,有松絞りには,沢山の絞り技法があるのですが,そのなかで”蜘蛛絞り”という素朴な絞りができるのは,左のおばあさんだけだということでした.このおばあさん,恐れ多くも賢くも,伝統工芸師だそうです.
有松で絞りの他に有名なのは,からくり人形を載せた山車です.山車には『布袋車(ほていしゃ)』『唐子車(からこしゃ)』『神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)』の3輌あり,名古屋市「有形民俗文化財」に指定されています.絞会館の近くにある「有松山車会館」には,このうちの一台が展示されており,年に一度秋に行われる祭りの様子をビデオで観ることができます.
有松の町を堪能したあとは,近くにある桶狭間古戦場を訪れました.多勢を引き連れた駿河の大大名である今川義元を当時尾張の小大名だった織田信長が討ち取った,歴史のエポックとなった”桶狭間の戦い”の舞台です.
実は,現在,桶狭間の戦いの古戦場史跡として整備された場所は,2箇所存在します.一つは,豊明市の「国指定史跡桶狭間古戦場伝説地」で,もう一つは,ここ名古屋市緑区有松町桶狭間(という地名)です.名古屋市と豊明市で言ってみれば,本家争いをしているのです.桶狭間古戦場公園は,1988年の土地区画整理事業に伴って整備された都市公園で,園内には,実際のものなのかどうかはわかりませんが,今川義元戦死地の碑,馬繋ぎの塚,首洗いの泉など桶狭間の戦いにまつわる地元の伝承地が設置されていました.のどかなひっそりとした住宅地には,似つかないおどろおどろしい言葉が並んでいて,ゾッとしますね.
このあと,近くにある今川氏の家臣である瀬名氏俊が戦いの評議をしたとされる伝承地「戦評の松」などを巡って帰路につきました.
一旦帰宅したあと,食べ逃した”そばを食べに”,いつものコースを走ったのは,言うまでもありません.
●走行時間 : 2hr10m + ?
- Related links:
- 有松・鳴海絞会館
- 有松あないびとの会
- ウィキペディア(Wikipedia):桶狭間の戦い
- 有松あないびとの会
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