
©2003 The Louis Kahn Project, Inc.
『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』(アメリカ/2003)
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東京や大阪で公開されていた時より,建築やデザイン方面のblogによく取り上げられていたという一風かわった作品である.この映画が名古屋で公開されていることを知ったのが,シネマで人生勉強:マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して の記事を拝見した時で,その日が公開最終日だった.”地団駄を踏む”というのはこういう時を言うのであろう.しかし,幸運にもアンコール上映されることになったという情報をいただいた.この映画を見逃した人々から劇場(名古屋シネマテーク)へ問合せが多数寄せられたようである.今回は見逃す訳にはいかない,とこの週末に出掛けた.
現代建築の巨匠の一人であるルイス・I・カーンの足跡を,彼の死後30年経て,その息子であるナサニエル・カーンが父親の残した建築を辿る形で追ったドキュメンタリー.というのがこの映画のあらすじ.ただし,ここには一方の軸だけしか書かれていない.これだけであれば,ディスカバリー・チャンネルで放映していても違和感のないストーリーである.
ルイス・I・カーンは,当時事務所を構えていたニューヨーク州ペンシルヴェニアに同時に三つの家族を持っており,正妻の他に二人の女性の家を行ったり来たりしていた.息子ナサニエル・カーンは,その愛人との間にできてしまった子供である.できてしまったと書いたのは,映画の中で,妊娠を聞いたルイスが「お前もか」と言ったという話が出てくるからである.ルイスは,遺作となった国会議事堂を建築し終わったバングラデシュからの帰国途上,ペンシルヴェニア駅で最期を遂げている.そして,その時見つかった彼のパスポートからは,住所が消されていたという.なぜそんなことをしたのか?父親はどこに行こうとしていたのか?何をしようとしていたのか?そして,どういう人だったのか?という息子による父探しの物語が,もう一つの軸である.
この映画の中でルイス・I・カーンの建築物として描かれる主なものは,ペンシルヴェニア大学リチャーズ医学生物研究棟,ソーク生物学研究所,アメリカ吹響楽団のための船,キンベル美術館,ノーマン・フィッシャー邸,フィリップ・エクセター・アカデミー図書館,インド経営大学,バングラデシュ国会議事堂など.目を見張るような美しい建物たち.印象的なのは,箱と箱を形作る平面にある切り取られた円や円弧.それから内部から外を見た時の複雑ながらも計算されつくした模様.全く違った場所に建てられ,用途も異なる全ての建物に,一貫したある種の思想が感じられた.家族よりも大切と言ったという建築に対するとてつもなく冷徹な情熱が見る者に与えるイメージと言ったら言いすぎであろうか.ミース・ファン・デル・ローエ,フランク・ロイド・ライト,ル・コルビュジエなどの建築家に比べ,日本ではそれほど馴染みのないカーンの作品であるが,息を呑むほどに美しかった.
さて,これは建築物紹介映像ではなく,映画である.建物を撮る手法は評価の対象となるべきものであるが,建築物の素晴らしさと映画の評価は別に考える必要がある.
この映画では,息子ナサニエル・カーンが父親の建築を紹介し,それにまつわる人々にインタビューする形で進んでいく.そして,その合間を縫って,彼の母親やルイス・カーンの関係した他の二家族たちとの会話も挿入される.その語り口やものごしは淡々としたものでそれが作品にある種の平静さをもたらし,中庸性と客観性を与えることに成功している.そういう意味では,上質のドキュメンタリーではある.
しかし,観終わった後,いや,観ている間からなぜか居心地の悪さを感じていた.それが何なのかずっと考えていたのだが,監督の名前を見て気が付いた.実は,その時まで監督がナサニエル・カーン本人であるとは知らなかったのである.先ほど”淡々”と進んでいくと書いたが,この作品の根幹をなすトーンを,彼の人となりだけで無意識に表現したということは考え難い.最初から監督の狙いの中に含まれていたはずである.ここに監督としての意志,妙に予定調和めいたものを感じるのである.それがノドに小骨が刺さったように,居心地悪く感じた理由である.
それを象徴するシーンが二つある.
一つは,水に浮かんだバングラデシュの国会議事堂を少年が眺めるシーン(この記事の冒頭に挙げたちらしにも使用されている)である.少年はナサニエルの分身を意図しているのであろう.情緒を喚起する美しいシーンである.でも,その裏には息子としてではなく,監督としての意図が見え隠れする.
もう一つのシーンは,この映画のハイライトの一つとも言える,カリフォルニアの海沿いに立つソーク生物学研究所でのシーン.真っ白なコンクリートに囲まれた中庭.その中央には,一本の水路が通っている.中庭の向こうには,抜けるように青い海.寂寥とした白と青の世界の中,唐突にインラインスケートをはじめるナサニエル.中庭で滑らかに円を描いて回る様子が,手前斜め上空からの俯瞰で映し出される.この唐突に映し出されるシーンが,息子としてではなく,監督としての何かしらの意図で挿入されているように感じられる.
ナサニエルは,父親探しの道中で父親の残した歴史に残る建物を目の前にし,父親に関係した人々に会い,どういう想いを抱いたのか?その胸中は彼にしかわからない.そして,そもそも父親探しを題材とした映画を撮影しようとした想いはどんなものだったのか?淡々とした流れとそれに入れるシーンを意図しすぎたばかりに,それらこの映画のコアともいうべき部分がピンボケしてしまったように思う.
そうは言いつつも,ソーク生物学研究所の中庭でインラインスケートに興じるシーンには心が動かされたのも事実である.なぜなら,監督の意図でインラインスケートを履いたかもしれない彼だが,滑りはじめた瞬間,監督ではなく,一人の息子としての彼になっているを感じたからである.その表情はよく見えなかった.無邪気な子供のようでもあるし,寂しげな表情のようにも見えた.父親の残したものの中に抱かれて安息を感じているのかもしれないし,見知らぬ父親に出会ってとまどっているのかもしれない.どういう想いを抱いていたのであろうか?その胸中を去来するものを想う時,胸がしめつけられた.このシーンから感じられた彼の情感を他のシーンでも垣間見せてくれたらもっと違った印象になったはずである.
ナサニエルは結局父親を探し出すことができたのであろうか?建築家としてのルイス・カーンは見つけられたのかもしれないが,父親としてのルイス・カーンは見つけられなかったはずである.でも,それは彼も最初からわかっていたことかもしれない.
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