
毎週土曜日に発行されている地域のホームニュースの4月8日号に「高須町 依佐美送信所,解体へ 独特の景観,77年の歴史に幕」という記事が掲載されていた.
高さ250mの8本の無線用鉄塔は,平成8年までの70年間に渡って聳え立ち,この街の人々の暮らしを見下ろしてきた.この依佐美の鉄塔は,太平洋戦争の開戦を指令する電文「ニイタカヤマノボレ」を送信したと言われている.そして終戦後は,米軍に接収され,潜水艦などに作戦指令を送り続け,その信号は,遠く地球の裏側にも届くと聞かされたものである.
小学校,中学校を通して,毎日鉄塔を見ながら過ごしてきた.それは,この街で幼年時代を過ごした者の原風景.学校から南側の窓を見れば,そこにはいつの時も変わらない鉄塔があった.そして,写生で描くのは,いつも鉄塔のある風景.それれを特別なものとして描くのではなく,当たり前の景色として描いた.
第二次大戦終戦後の1950年にGHQ指令により,アメリカが依佐美送信所を接収.1994年に日本に明け渡されるまでの間,米軍が駐留していた.昔のことは知る由もないが,幼年時代,アメリカナンバープレートを付けたジープが街内を走っているのをよく見かけた.鉄条網の向こう側が日本ではないことは,子供ながらに知っていたように思う.でも,その街に住む人にとって,そこはあまりにも遠くはなれた場所だった.
アメリカのインディアナ州に滞在していた時,よくゴルフをしたゴルフ場がある.Indian Springs Golf Course という,その名前の通り,田舎にある決して豪華とは言えないゴルフコースだった.そこに行く途中,原っぱと畑が一面広がった何もない土地に,何本もの鉄塔が立っていた.その脇を通るたび,依佐美の鉄塔を思い出したものです.
偶然にも土曜日に立ち寄った実家で,ホームニュースの記事を見た.偶然がキッカケとなることは往々にしてあること.その記事を読んで,取り壊す前にもう一度見ておきたいと思った.そして,依佐美送信所に向った.
もう少ししたらその役目を終え,取り壊されてしまう依佐美送信所.この街で時間を過ごした者にとっては,幼年時代の思い出が詰まった対象がついえてしまい,感傷的な喪失感が漂う.しかし,天を射抜くほどに高く聳える鉄塔やレンガでできた丸みを帯びた送信所のイメージは,異国のジープとともに,人々の記憶の中に,原風景として残されていく.
そして,かつてこの街の子供だった僕らは,吸い込まれそうなくらい晴れあがった日,緑に波打つ田園風景の中でふと空を見上げ,目を細めて遠方を眺める.まるでそこに何かがあるかのように,ずっと.
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- End of destruction|依佐美送信所
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- 関連リンク:
- 刈谷市:依佐美の鉄塔
- 刈谷市立双葉小学校:鉄塔と依佐美送信所(最初の写真もここから引用)
- 中部産業遺産研究会:依佐美送信所 対ヨーロッパ無線通信発祥の地
- 電気通信大学:歴史資料館:依佐美送信所関連資料集
- 讀賣新聞:中部版「ニイタカヤマノボレ」世界遺産に
- 刈谷市:高須歴史散歩(郷土史家 加藤修)
- 刈谷市立双葉小学校:鉄塔と依佐美送信所(最初の写真もここから引用)
- 依佐美送信所 定点観察 photos:
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- A hut in ruins | 依佐美送信所,その後
- A hut in the mist | 依佐美送信所,その後 #2
- End of destruction|依佐美送信所
毎日の自転車通勤でこの横を通っていきます.今までそれほど気にならなかったのですけどねえ.
今あるのは1/10のミニチュアですので,昔の鉄塔に比べれば子供のようなものです(笑)
自転車通勤、自転車ダイエットにめざめ、1年。
ブログをさがして、たどりつきました。
このあたりのルートはふきっさらしで、大変ですが、気持ちがいいですよね。夜、帰宅時に思いっきりペダルを踏めるのが気に入っています。
また、遊びにきますので、よろしくお願いします。
私は雨の日以外はこのへんをジテツーしてます.どらごんさんもこのへんをジテツーされているのですね.おっっしゃるように,確かに田んぼの中の道は,遮るものがないので風があるときは,風との戦いですよね.それでもって,なぜ〜かいつも向かい風のような気がします(笑)
こちらこそ,どうぞ宜しくです.
関西在住です。超高層ビル&高塔のマニアです。1980〜90年代高層ビルも少なかった時代 広大な濃尾平野に建つ鉄塔に魅了されました。いまこそ250mと言う高さは至る所に目にしますが当時は珍しかったです。
東京タワ−や新宿ビル群の風景は街中で周囲に高いビルが林立しているので脅威に感じない。しかし刈谷の鉄塔(あえてこう言わせて頂きます)は平野部に建っているのですこぶる高く感じた。とてもミッドランドスクエアやJR名古屋セントラルタワ−ズと同等に思えない。いまわ無き埼玉県川口のNHK鉄塔
(312m)もそうでした。自分には縁もゆかりもない刈谷ですが青春の思い出でした。
東北での仕事を辞めて関西に戻るとき鉄塔を見るために刈谷市のホテルに一泊しました。タクシ−の運転手に意を伝えるとびっくりしてましたが 高塔ファンにはたまりませんでした。もし今建っていたら名駅周囲のビルからもはっきり見えたと思います。いま新幹線の三河安城駅あたりからミッドランド等が見えますので当然でしょう。本当に残念です。
今世界は600mを超えるのビルが建設ラッシュですが、いっぽう昔の古い高塔はどんどん消えてます。無用になったのと老朽化によるのでしょう。貴方様の上のブログ 貴重なお写真ありがとうございました。お気に入りに残しておきます。ご活躍 ご健康を祈ります。 和歌山県 獣医師 北斗
いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。鉄塔というのはよく使ったり、聞いたりしますが、「高塔」という言葉があるんですね。なるほど。
そうですか。依佐美の鉄塔(刈谷市の前には、依佐美村という村でしたので、既に住所上は存在しませんが、今でもこのあたりは依佐美地区と呼ばれています)をご覧になるために、刈谷に一泊されたというお話は、ゾクゾクするほど嬉しいですし、そういうのはよくわかります。
鉄塔はもうないですが、その鉄塔の跡地には、記念樹が植えられていますし、送信所のあった場所にはフローラルガーデンヨサミという公園が整備され、そこに歴史の解説とともに、送信機などの装置が展示されています。そうそう。ここには鉄塔の下部の25mだけが記念に設置されています。
先日、和歌山の新宮市に行ったのですが、そこで鉄塔を見まして、懐かしく思ったものです。今調べると、NHKの放送鉄塔のようです。電力鉄塔ではなく、下が細くなった鉛筆のような鉄塔で鉄塔から四方八方に支えるケーブルが伸びている鉄塔を見ると、無意識に依佐美の鉄塔を思い出すのか、見とれてしまいます。
では。
鉄塔にご興味がありましたら
書籍:アンテナタワ−千一夜(創樹社)
超高層ビビル(社会評論社)1〜3
HP:TOMY’S TOWER
放送鉄塔デ−タ
送信塔見て歩き
デジカメ画像その他(送信所変)
東京スカイツリ−の完成までを見守るブログ
などをご覧ください
今は無き鉄塔(無線塔を含む)は
依佐美送信所 250m
川口NHK(埼玉)312m
原町無線塔(福島)200m
対馬オメガ塔(長崎)455m
南鳥島ロランC局(東京都)411m
硫黄島ロラン局(東京都)411m
六ヶ所村観測用(青森)200m等です。
中でも対馬オメガ塔は98年撤去まで日本一の高さ(455m)を誇ったと言います。
マニアックな内容のメ−ル失礼致しました。
貴重な情報に感謝致します。
高い鉄塔がなくなってるのは寂しい限りですが、いつまでたっても鉄塔は気になる存在ですね。