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2005/11/05
fundamentals


以下のような物事にインスピレーションを受け,タイトルを付けるに至った.

●beatnik ビートニク

”現代*1の物質文明を嫌悪,拒否し,順応主義や体制の中の歪められた人間性を解放し,生きるに値する新しい社会を見出そう”*2としたbeatnikたち.彼らのバイブルがJack Kerouac(ジャック・ケルアック)著「路上」ON THE ROAD だった.本書の中では,ビート世代を代表する他の作家や詩人たち,Allen Ginsberg(アレン・ギンズバーグ)やWilliam Buroughs(ウィリアム・バロウズ)も登場人物として描かれる.

路上
路上
posted with amazlet on 05.12.08
ジャック・ケルアック 福田 稔
河出書房新社 (2000/00)

主人公のサル・パラダイスはアメリカを幾度となく横断や縦断をしながら(ある時はヒッチハイクで,ある時はバスで,ある時はピックアップトラックで)通り過ぎることになる土地土地で様々な風景を見せてくれる.「路上」の中には以下のような文章がある.

「百フィートばかり歩いてから,ぼくはふりかえって彼女を見た.彼女はぼくの朝飯の皿を片手にして,すたすたと掘立小屋に帰って行った.ぼくは頭をさげて,彼女を見つめていた.そうだ,ぼくはまた路上に戻ったのだ.」(chapter1/section13)

「車に乗って人々から別れ去って行くときのあの気持ち,人々の姿が平原の上にしだいに小さくなり,やがて小さな点となって消えて行くときあの気持ち,あれはいったい何なのだろう.それは,あまりにも巨大な世界がわれわれを跳び越えていくこと,つまり,それが訣別というものなのだ.しかし,ぼくらは大空の下を次の気狂いじみた冒険に向って乗り出して行くのだ.」(chapter2/section8)

*1
1950年代.「路上」は1957年に刊行されている
*2
河出書房新社刊「路上」のあとがきからの引用

●”Road”と名の付く単語

旅路への誘いなのか.移動することへの憧憬なのか.”Road”と付く単語に惹かれる.

Road movie,Road essay, Road race/racer/bike.
そして,Road Blog.

●風景を切り取ること.写真家達.

Lands&Memory 記憶の風景 東京~奄美 損なわれた時を求めて
島尾 伸三
河出書房新社 (2004/03/03)
Lands&Memory 記憶の風景 東京~奄美 損なわれた時を求めて』(島尾伸三著 河出書房新社 2004年)

かつて少年時代を過ごした母なる島奄美への各駅停車の旅.小岩から出発し,茅ヶ崎,神戸,博多,熊本,水俣と,父・島尾敏雄らと過ごした記憶を辿る.写真62点を収録.記憶と風景が交錯する新たな「ロード・エッセイ」(帯より).

素晴らしいロード・エッセイ.そういえば,読了したのは,新幹線で移動している車中だった.写真家である著者が辿る東京から奄美大島までを綴った「on the road」の旅.「road」と言っても道路ではなく,各駅停車の列車で行く旅”路”.
ここでは,成長や時代の流れの中で図らずも損なった何かに対し,恢復を求める気持ちと,優しく佇む諦念の想いが,さすらい,そして,さまよう.これらの宙に浮いた想いが,現実の旅(取材)とも,郷愁溢れる酔っぱらいの想像とも受け取れる進行の中で,暗喩に満ちた文章と叙情に満ちた写真で表現されている.旅情と郷愁をくすぐって止まない.

陰翳のある写真や面で構成された風景写真に惹かれます.建築物を撮った風景も自然に向き合った風景.例えば,ホンマタカシや佐内正史などが撮る写真.

Hyper Ballad―Icelandic Suburban Landscapes
ホンマ タカシ
スイッチ・パブリッシング (1997/09)

●映画「ブレードランナー」とフランスの手帳

フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とした,サイバーパンク*1のさきがけとなった近未来を舞台にしたSF映画である.植民地惑星から脱走してきたレプリカント(クローン人間)と,それを追う「ブレードランナー」の刑事.遺伝子工学やクローン技術を題材にして,その結果として生み出された者の悲哀をホードボイルドかつリアルに描いた作品.
映画館で観たのも記憶から消えそうな程昔のことであるが,セリフだけは鮮明に覚えている.
レプリカントが刑事の命を助け,そのレプリカントが寿命を迎えたシーンでのボイスオーバー.

「All he'd wanted were the same answers the rest of us want. Where do I come from? Where am I going? How long have I got?」
(彼は自分のことを知りたがった.どこから来て,どこへ行くのか?何年生きるのか?人間も同じなのだ)

*1
上映当時(製作は1982年)にサイバーパンクという言葉は存在してなかった

日常のスケジュール管理にフランス「QUO VADIS」社の手帳を使っている.フランスというだけで想像する通り,スノッブでお洒落な手帳で気に入っている.ここ数年,中身だけの交換で済ませているくらいのお気に入りである.
使っている時に,この会社の社名「QUO VADIS」がふと気になり,調べてみたことがある.その意味は,ラテン語で「汝,どこに行くのか?(Where do you go to?)」という意味であった.西欧では比較的ポピュラーな言葉のようで,他にも以下の言い回しを知った*1

Unde venimus? = Where did we come from?
Quo vadimus? = Where do we go to?
Quo Vadis? = Where do you go to?

Jack Kerouac(ジャック・ケルアック)著「路上」ON THE ROAD にも,次のような一文がある.

「車が進むにつれて,闇の中に遠のいて行く彼の背高い姿を見ていると悲しい気持ちになった.ちょうど,ニューヨークやニュー・オーリンズでもそうだったが.彼らは巨大な空の真下に,頼りなげに立ち,彼らのまわりのあらゆる物が消えていく.どこへ行くのか?何をするのか?−何のために?−眠ることだ.でも,このおろかしい一行は前へ進んでいた.」(chapter2/section8)

*1
例えば,ここ

●移動すること,そして,自転車による移動

移動とは,”位置を変えること.移り動くこと.移り動かすこと.”(三省堂 大辞林より)移動に”どこか辿り着く”といった意味はない.
移動することにより,視点も移動する.移動と共に,たった今目の前に広がる風景が,その刹那,後方に置き去りにされる.そして,これは航空機の旅では味わうことのできないものである.空の旅の場合,中間がすっぽり抜け落ちる.そういう意味では,人は獲得した速度の分だけ,移動する際の発見や喜びを失っている気がする.
移動のための移動.移動のダイナミズムとは,連続性に基づく,風景*1の移り変わりにある.”どこでもドア”は便利ではあるが,そこに移動そのものの楽しさはないと思う.
そして,自転車による移動である.
列車や自動車での移動とは違う移動がここには存在する.移動速度は及ぶべくもない*2.ただし,これは前述した連続性が最も優れていることを意味する.距離にして一日200km程度は移動することができる.余談になるが,有名なロードレースである「ツール・ド・フランス」は21日間で3600kmを走破するのである*3

「ぼくらはみな喜んだ.ぼくらは混乱とナンセンスを後にして,われわれに与えられた唯一のそして高尚な時代の任務,つまり,動くこと,を遂行しているのだと実感したからだ.そしてわれわれは動いた!」
(Jack Kerouacジャック・ケルアック著「路上」ON THE ROADより引用,”動く”に傍点,chapter2/section6)

*1
ここでの”風景”とは,人の営みをも含んだものである
*2
信号機でstop&goを繰り返す日本の一般道では平均的にはそれ程の違いはない
*3
一日平均移動距離は170kmであるが,アルプスなど険しい山岳越えが大半分を占める

●その他,候補になったタイトルたち

再び,路上へ〜out on the road again
from on the road again
back on the road again
many roads to cross/幾多の路が交差するあの場所へ
roadside log
郊外の生活/suburban life
坂のある風景/landscapes with the hill
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