:: 「写真0年 沖縄」シンポジウム

2008/02/13
┣ camera talk


写真展映画『カメラになった男 写真家中平卓馬』のあとはシンポジウムに参加.パネリストは比嘉豊光(写真家)・浜昇(写真家)・北島敬三(写真家)・小原真史(写真評論家・「カメラになった男 写真家中平卓馬」監督)・倉石信乃(写真評論家)の5名.

ここでは,パネリストの一人である倉石信乃が自身のブログでも書いているように(関連clip),「写真は”クリエーション”ではなく”ドキュメント”である」という議論に終始した.要するに,写真は"art"あるいは"作品"なのか,そうじゃなくて"artでない記録or記憶(ドキュメント)"と捉えるのかについての話だった(ただし,倉石氏は後日ブログで「私の選択した展示方法が比嘉作品を~」と”作品”と書いてしまっていてこれはピンボケ).

さて,このシンポジウムはとても濃密な時間だったのだけれど,これはこれで写真のアイデンティティに関わる奥の深い問題だなあと思う反面(結果はボウズだったが,帰宅後ドキュメントorクリエーションに関する情報を求め,検索の海をさまよったのも事実だし),まだこんなことにこだわっているのかということも感じた.なんだか勝手に仮想敵を作って挑んでいくような気がしたのも確か.こういう議論って,写真はアナログかデジタルかというのに似てる気がする.写真という世界にどっぷり漬かり,集中してるからこその議論だとは思うけど,傍観者から言わせれば,そんなのどっちだっていい.極論すれば,写真をはみ出して,その結果,それが写真と言われるものじゃなくなったっていいじゃないかと思った.

以前,小林のりおが自身のブログで次のように書いている.

いつの間にか「写真」が既存のアートシーンばかりを気にするようになって、美術市場という名の陳列棚に並ぶことが目標とされるような昨今のあり様にはウンザリしています。いつの間にやら違った道を歩いていたなら、引き返す勇気も必要かもしれません

と書いていたが,写真を"クリエーション"ではなく"ドキュメント"とする心象はこれの裏返しなのだろうか.

そういう意味では,内原恭彦が自身の写真集について,

作品集Son of a BITは、コンピュータ関連やアートやマンガの棚にならべてほしい

と写真集とかアートの棚じゃなくて,マンガなどのサブカルの棚の中に陳列されたいと書いていたが,この感覚の方がより共感できる(これは彼が写真を撮り始めて歴史が浅いということに関係があるのかもしれないけど).

こういった写真業界人の集まるシンポジウムというのを聴いたのがはじめてで,その狭さというか純潔具合に恐れおののいたせいがあるのかもしれないけど.中平卓馬を追った映画といい,このシンポジウムといい,久しぶりに知的興奮を覚えた一日だった.
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22:26 | Comment(6) | TrackBack(0)
Tags: 写真 photography 沖縄 シンポジウム 写真0年

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