:: 『カメラになった男 写真家中平卓馬』

2008/02/07
┣ camera talk


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『カメラになった男 写真家中平卓馬』(小原真史監督/2003年/2006年初公開)
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写真展のあとは,最近の中平卓馬を追った映画「カメラになった男 写真家中平卓馬」と写真展にあわせて行われたシンポジウムに参加した.

映画「カメラになった男 写真家中平卓馬」の監督は,写真評論家でもある小原真史.なんでも愛知出身のようだ.この映画は,記憶喪失以後の中平に密着し,彼の生活や旅行の一コマ一コマをハンディカムで捉えたドキュメンタリーである.

残念ながら倒れる前の中平については何もしらないが,映画の中の中平は人のいいおじさんといった風情というのが第一印象.ビデオカメラを意識するでもなし,ビデオカメラなどないように振舞う姿が全編に亘って描かれている.

中平は常にカメラを抱え,シャッターを押し続ける.思い描く写真を求め,川のフェンスを登り,満足するまで撮り続ける.そして撮影に訪れた海岸では,観光客に頼まれれば記念写真のためにシャッターを押してやり,うまく撮れたかなあとビデオカメラに向かってつぶやき,はにかんでみせる(それにしても,なんと幸せな観光客であることよ).

映像を撮り続けるビデオカメラに向かって,中平はとても無邪気に振舞っているのだが,カメラと名前がついたその機材,すなわち,動画を撮るということに対しては,どういう風に感じていたのだろうか?

映画の中の中平の行動には気負ったところが全くなく,極めて自然体である.”カメラになった男”というタイトル通り,中平にとってシャッターを押すことが生活の一部と化し,呼吸したり,あくびをしたり,トイレに行ったりするのと同じくらい自然な行いのひとつになっているように感じた.

さっきも書いたように,この映画の中平は,ビデオカメラへの気負いがないばかりか,生活そのものが何か外界の戯言から切り離されて存在しているかのようである.それはビデオカメラを回している監督との信頼関係というものもあるのだろうが,中平の今の生活そのものなのだと信じさせるに足るものを感じた.ただ,シャッターを押すほんの数秒の瞬間を捉えたいくつかの場面では,紛れもなく写真を撮る者の姿こそがそこにあった.

さて,映画の中にその中平が沖縄へ行って,写真を撮りつつ,知り合いに再会し,写真展のシンポジウムに参加するという場面が出てくる.シンポジウムでは,東松照明,荒木経惟,森山大道など錚々たるメンバーと一緒に壇上の人となる中平であったが,その中でアラーキーもタジタジとなる存在感,突き抜けっぷりだったのは強烈だった.
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22:58 | Comment(0) | TrackBack(0)
Tags: 写真 写真家 カメラ photography

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