写真でも,音楽でもなんでもだけれど,やっぱり初期衝動でものにされているものは訴えかけてくる.
音楽で言えば,パンクやネオ・アコ.あの刺々しいほどの荒々しさや瑞々しさは,初期衝動あってこその産物だ.パンクにしろ,ネオ・アコにしろ,その音楽の形式を指してそういう場合が多いが,それは大事なものを見落とした見方だ.形式じゃなくて,むしろ,その志というか,初期衝動がなければ,あれほどまでのムーブメントにはなっていないだろう.それは,当事者たちのインタビューでも明らかだ.
このことを写真の撮影にあてはめて考えると,最初は写真を撮るという行為そのものの斬新さをしっかり感じ取り,熱に浮かされたようにシャッターを切り続ける.そこには,撮影者の状態,つまり,空中に何センチか浮いたような微熱さ加減が,何かしらの形となって画像に写しこまれるような気がする.
それが一定の時間を経ることによって,いろんな情報やテクニックが詰め込まれ,そういったものが少しずつわかってくる.それは大部分が必要なことなのであるのだが,その反面,余分なことまでを考えることになる.そして頭で考えはじめると,途端につまらなくなるものが多い.よくある話だ.
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